中国・深センに見るスマホを使ったキャッシュレス社会の現状|山根康宏のワールドモバイルレポート

急激に進む中国社会のキャッシュレス化。日本でも各種のICカードやモバイルペイメントの利用が進んでおり「何を今さら」と思う人も多いだろう。しかし中国のキャッシュレス社会は日本の想像を超える速さと広さで浸透を始めている。もはや支払いだけではなく、個人間のお金のやり取りですら現金は使われなくなっている。

「こちらがおしぼりです。そしてこちらを」。中国・深センの大型マッサージ店では店に入ってからいたれりつくせりのサービスを受けることができる。マッサージを受けるだけではなく大浴場で疲れを取ったり、仮眠室で朝まで過ごすことも可能だ。フルーツなども食べ放題など、日本の健康ランドよりもサービスは充実している。ロッカールームでも係員が館内着を出してくれたり着替えを手伝ってくれるのだ。

退出の際にはその係員がおしぼりとお茶をトレイに載せて出してくれるが、その横にはQRコードが印刷された紙も載せられている。実は以前なら「チップをください」と小銭をせがまれていた。しかし「小銭がない」と言って払わないことも多かったのだ。しかし今ではだれもがモバイルペイメントを利用している。その場でスマートフォンからQRコードを読み取り、5元(約86円)や10元(約172円)といった少額を直接相手に渡す、といたことも普通に行われている。

スマートフォンのウィーチャットペイのQRコード画面。右は友達にならなくとも支払いできる
スマートフォンのウィーチャットペイのQRコード画面。右は友達にならなくとも支払いできる

日本ではチップを払う機会はないものの、見知らぬ相手にモバイルペイメントで直接お金を払う、という概念がそもそもないだろう。京都あたりの老舗の旅館に泊まったときなら、今でも「心付け」をそっとわたすかもしれない。そかしそれをLINEペイで払うなんてことはありえないだろう。

中国のモバイルペイメントはアリペイ(支付宝)とウィーチャットペイ(微信支付)の2つが主流だ。数年前までならば、銀行デビットカード型のユニオンペイ(銀聯)が至るところで使われていた。しかしユニオンペイは店側にカード読取機が必要だ。一方モバイルペイメントならQRコードをスマートフォンで読み取るだけで使える。一時期中国でもスマートフォンのヘッドフォンジャックに取り付けるカードリーダ端末が普及しそうになったが、あっという間にモバイルペイメントに駆逐されてしまった。

アリペイとウィーチャットペイが中国の2大モバイルペイメント
アリペイとウィーチャットペイが中国の2大モバイルペイメント

オフィス街のお昼時ともなれば、個人のお弁当屋が現われて格安なランチ弁当を販売する姿も日本と中国では変わらない。ワンコインで買える500円弁当なら、買い手も売り手も細かいお釣りを用意する必要はない。しかし500円玉片手に「今日はどのお弁当にしよう」という感覚は中国にはもうない。現金をもってお弁当を買いにはいかないのである。

中国のお弁当屋さんは、道端にずらりとお弁当をならべ、弁当箱の入ったカゴにはQRコードを印刷した紙が置かれている。丁寧なことに片面がアリペイ、もう片面はウィーチャットペイのコードだ。お客は好きな弁当を選んだら自分のスマートフォンでQRコードを読み取り自分で支払う。つまり弁当を選び支払いまですべてセルフサービスなのだ。ここで現金を出そうとすると、売り子さんに「今弁当を並べて忙しいからちょっと待って」と言われてしまう。もはや店側が現金客を面倒と考えているのである。

さらには深夜のレストランへ行くと「注文から支払いまで、すべてスマートフォンでお願いします」という店もある。夜中は人件費削減のため広い店を数名でやりくりしているところもある。下手にお釣りなどの現金をレジにおいておけば、強盗がやってきて盗まれる恐れもある。夜中は店員の頭の回転もにぶくなりお釣りの渡し間違えも置きやすい。早朝にレジを締めて計算してお金が合わなければ、そのミスを計算するのも大変だ。しかし現金無しならその問題も起きない。

レストランのテーブルに着いたら、QRコードで注文から支払いまで済ませられる
レストランのテーブルに着いたら、QRコードで注文から支払いまで済ませられる

ここに上げた事例は珍しいものでもなんでもなく、中国のある程度の都市ではごく一般的なことである。キャッシュレスやモバイルペイメントという考え方の前に、現金そのものをやり取りすることのデメリットや面倒な部分を、中国の消費者たちが嫌い始めているのである。中国のモバイルペイメントの普及の理由に「偽札がある」という話も聞かれるが、日常的に偽札などが流通しているようでは国としての経済が成り立つわけがない。日本とは違う意味で「現金を使うのが面倒」なだけである。

例えば深センの地下鉄に乗ろうとすると、切符の自動販売機の一台だけに行列ができている。その自販機はモバイルペイメントで切符が買えるのだ。行き先を選べば自販機の画面にQRコードが表示されるので、スマートフォンで読み取って支払うことができるのである。

深センの地下鉄の切符自動販売機。QRコードでスマートフォンで支払いできる
深センの地下鉄の切符自動販売機。QRコードでスマートフォンで支払いできる

中国の自販機を使ったことのある人なら、なぜ切符を買う程度のことにいちいちスマートフォンを使うのかを理解できるだろう。普通の自販機に現金を入れると、十中八九の確率でお札が戻ってくる。何度入れても受け付けないことも多い。また長蛇の列にならんでようやく自分の番になったら、自販機は1元札しか受け付けず、5元や10元札が利用不能になっている、なんてこともある。日本の切符の自販機の常識は中国では全く通用しないのだ。

ここで多くの日本人が疑問に思うだろう。「だったらスマートフォンで直接改札口を通れるようにすればいい」。あるいは「ICカードを買えば済む」と。実は数年前から中国各都市の地下鉄はNFC対応の改札口を増やしている。しかしスマートフォン側の対応が遅く、スマートフォンの性能そのものも低かったためほとんど利用されなかった。スマートフォンでそのまま乗車の普及は進みそうだが、普段使い慣れているQRコードで乗車のほうが利用されていくかもしれない。

上海などではスマートフォンのNFCを使って地下鉄に乗ることもできる
上海などではスマートフォンのNFCを使って地下鉄に乗ることもできる

上海や杭州の地下鉄は、改札口にQRコードの読取機がついている。NFCと違いQRコードは読み取りに時間がかかる。そのためQRコード対応改札口は朝のラッシュ時には長蛇の行列ができてしまう。それでもあえて別のソリューションを使わず、毎日使い慣れているQRコードを利用する利便性を選ぶ中国の消費者は多い。

そしてICカードは利用範囲が狭いことから、普及は限定的になってしまっている。中国各都市の交通機関は開業時から交通系ICカードに対応しているところが多い。しかしそのICカードが交通機関以外に使えるようにはなかなか広まらなかった。そうこうしているうちに昨今のモバイルペイメントブームが来てしまった。今からICカードを普及させることはおそらく難しく、スマートフォンを切符代わりにする動きのほうが進みそうだ。

このモバイルペイメントの普及は、中国のシェアエコノミーの普及を強力に後押ししている。現金が不要で身の回りのものが自由に借りられるとなれば、ものを所有する必要がなくなる。その最大の成功事例がシェア自転車だ。もはや自分で自転車を買う必要はなくなり、町中においてあるシェア自転車を好きな時にだけ乗れば自由に移動できるのである。もちろんシェア自転車が使い物になるようになったのは低消費電力な通信モデム(NB-IoT)の商用化が進んだことによることも大きい。しかし料金支払い時に銀行口座を紐づけることなく、モバイルペイメントから直接支払えるという利便性がシェア自転車の利用を容易なものにしているのだ。

中国の都市部では町中にシェア自転車があふれている。スマートフォンで乗車可能だ
中国の都市部では町中にシェア自転車があふれている。スマートフォンで乗車可能だ

蛇足ながら中国ではシェア傘のサービスも始まっている。だが傘を持ち帰ったまま回収ステーションに戻さない利用者が多い。これを「だから中国人はマナーが悪い」と見る向きもあるが、その理由は単純なこと。雨の日にシェア傘を持って自宅に帰宅。翌日天気が良くなったとき、わざわざ家に持ち帰ったシェア傘を持ってでかけるだろうか?シェア自転車はどこに放置してもよく、場合によってはサービス提供社の係員がたまりすぎた場所から足りない場所へ自転車を移動させる。

一方シェア傘は持ち帰ってしまったものを係員が回収することはないし、いちいち駅やバス停にもっていかねばならない。同じシェアでも借りた後の面倒さがシェア傘の回収率の低さにつながっているのである。

では実際に筆者が深センに行った際に、現金無しでどのように滞在しているかの実例を紹介しよう。国境を越えたらまずは自販機でスマートフォンでジュースを買って喉を潤す。地下鉄に乗るときはICカードを利用。このICカードもモバイルペイメントから残高をチャージできる。駅を降りてショッピングモールに入れば、買い物はモバイルペイメントで済む。昼食は時間がないので屋台で小食をつまむが、それもスマートフォンで支払いだ。

次の移動先は徒歩5分程度なのでシェア自転車をスマートフォンで支払って借りて利用。別のショッピングセンターをぶらつくと、マスクの自販機を発見。現金投入口は無くスマートフォンでQRコードを読み取って支払いができる。そしてそれからスタバに立ち寄りここでもスマートフォンで支払う。1時間ほどお茶していると雨が降ってきたが、外には傘の売り子がたくさん現れている。1本10元なので売り子のスマートフォンに表示されたQRコードをこちらのスマートフォンで読み取って支払う。

自動販売機ももはやほぼすべてがスマートフォン対応。現金利用不可も多い
自動販売機ももはやほぼすべてがスマートフォン対応。現金利用不可も多い

そのあと夕飯の時間になり、レストランに入ると空いている席に自由に座っていいという。席にはQRコードがあり、それをスマートフォンで読み取るとアプリが立ち上がり、注文画面となる。いくつか料理を注文すると、係員を呼ぶ必要もなく注文が通りあとは料理が自分の席に運ばれてくる。QRコードには席番号の情報も入っているのだ。ここでスマートフォンのバッテリーがだいぶ減ってきたので、店内にあるモバイルバッテリーのレンタル機からバッテリーを1つ借りる。これもスマートフォン支払いだ。

夕食後はマッサージに行き、冒頭で書いたようにチップを含め、料金すべてをスマートフォンで支払った。夜も遅いので国境まではタクシーで移動、降りる時もスマートフォンでの支払いだ。

シェア(レンタル)モバイルバッテリーもQRコード利用。現金は不要だ
シェア(レンタル)モバイルバッテリーもQRコード利用。現金は不要だ

こうしてみると、日本と変わらないようにも見えるだろう。しかし屋台や突然現れた傘の売り子であろうとも、支払いに現金を出す必要はない。つまり極論からいうと「念のため現金を用意しておこう」と考える必要が全くないのだ。深センの街中で何かしらの支払いが生じる場合、「電子マネーが使えるだろうか?」のように考えることがないのである。

これは数年前の話になるが、とあるレストランでモバイルペイメントで払おうと思ったところ、店側がまだ対応していなかった。ではどうするか。そこの店員個人に料金分をスマートフォンで送金し、その店員が後から現金で店に支払いを行ったのだ。個人間でもSNSアカウントで友人になることもなくお金が送金できるので、こんなこともできるのである。

筆者はこれで「中国のモバイルペイメントがすごい」と言いたいのではない。モバイルペイメントの分野では日本のほうが技術的には進んでいる。ところがQRコードという枯れた技術を使うことで、中国では末端部分までキャッシュレス化が浸透しようとしているのである。技術の優位性やセキュリティーはさておき、あと数年で中国では一般消費者が現金というものを目にすることがなくなるのかもしれない。

モバイルペイメントが普及を後押しする無人コンビニ
モバイルペイメントが普及を後押しする無人コンビニ

こうしてあらゆる支払いがスマートフォンで行える社会がくれば、今まで提供が難しかった新たなサービスを消費者に提供する、といったことも簡単になるだろう。無人コンビニなどはその1例かもしれない。モバイルペイメントの普及で社会やサービスはどう変わっていくのか。アメリカや日本ではなくその答えは中国の動きから見えてくるのかもしれない。

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